5月29日--3
Green Curryクライシス。 帰りの車中、「夕食でもどうですか?」とp4p.さんからのお誘い。僕はぜんぜんOKだったが、気になるのはp4p.さんの帰り時間(NYまで3時間ほどかかるそうだ)と、ホステル近くのスタバに残して来た嫁のこと。p4p.さんの方は、時間は気にしなくても平気ということだったので、ならばと一緒に僕の滞在している方面に向かった。
今日の出発前、嫁は「取りあえず20時まではスタバにいると思う」と言っていた。ちなみに、朝9時である。いくらなんでも10時間以上も一人でスタバにいるのは無理だろう、と思っていた。ホステル近くの最寄り駅に着いたのが19時45分頃。いないだろうとは思ったが、一応待ち合わせのスタバを覗くと……いました!!!!PCに向かい、眉間に皺を寄せて真剣な眼差しの我がワイフが。聞くとホステルでチェックインをするために30分ほど抜けたが、残りはずっとスタバで粘っていたというのだ。一通りのいきさつを聞いていたp4p.さんは、「タフですねぇ」と呆気に取られていた。
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5月29日--2
Belmont Park競馬場へ行こう。 情報を提供してくれたp4p.さんと落ち合う約束を取り付け、NYミッドタウン42番街にあるYOSHINOYA前で待ち合わせ。時間に遅れてはまずい、と思い地下鉄を利用した。むろん、一人である。空港で買ったメトロカード(パスネットみたいなものか)の残りを使い、ミッドタウン方面の列車に乗車。やや緊張気味だったが、次の駅を見るとちゃんと南下しているので一安心…。ところが、ある駅に着くと一斉に乗客が下車!「え、何?」と思いつつ、僕も便乗して下車してみた。みんな向かいのホームに停車中の電車に乗り込んでいる。僕も乗り込んだ。車内の電光掲示板を見ると、次がいきなり42st。どうやら急行待ち合わせだった。確かめもせずに乗り換えた僕だが、結果的には待ち合わせ時間40分ほど前に到着できた。
ブラブラと歩いてマーケットで水を買い、しばし休憩。デジカメの写真でも整理するか、とバッグからカメラを出すと、妙に軽いではないか。嫌な予感が走った。電源を入れても無反応…。恐る恐るバッテリー部分を見ると、案の定バッテリーがない!前日、万全を期してバッテリー充電したのが裏目に出てしまった。単独行動最初でいきなり躓いてしまった。
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5月29日--1
初の単独行動。 アメリカに滞在すること50余日。基本的に行動は、嫁とともにしてきた。お互いに一人で行動するのは危険だろうし、携帯電話がないのではぐれた場合に連絡の取りようがないからだ。アウトローで売って来た?僕にとって快挙である。 5月29日。p4p.さんから、この日はBelmont Park競馬場で春の二大BIGレースのひとつ、Metropolitan Handicapというレースがあることを仕入れた。ベルモントSの下調べも含めて行ってみよう、ということになったのだが、ここで問題が発生した。よりによって、この日はホステルを変更する日。旧ホステルをチェックアウトし、新ホステルのチェックインをしなければならない。しばし考えていると、なんと嫁から驚くべき提案が。 「私がチェックインしておくから、一人で行って来なよ」 !!!!!僕からこうした意見を言うならばまだしも、嫁から先制攻撃が来るとは驚きであった。半信半疑で確かめると、「うん。スタバでネットやってるから平気だよ」。。恐るべしPC効果である。 かくしてはじめて単独行動することになった僕。果たしてどうなることやら…。
日本ダービーに思うこと。
さすがに日本ダービーだけあって、JRAの公式ホームページには早々にレース映像がアップされていた。近場のSTARBUCKS(ネットの電波が入る場所として重宝している)の隅の席を陣取り、こっそり音量をあげてアクセスした。 首差という着差以上にメイショウサムソンの強さは際立っていた。楽に好位につき、最後は手綱を緩める余裕。危なげない勝利だった。後ろが伸びない馬場だったとか、アドマイヤメインがスローに落としすぎたとか、色々とケチをつける声があるが、忘れてはならないのはこれはダービーだということ。かつて武豊は、ダービー馬は枠や馬場、展開に注文がついてはいけない、ということを言っていた。つまりは、ダービーで伸びなかった馬はダービー馬になりえなかった、ということだろう。メイショウサムソンは強く、そしてダービーを勝った。それ以上でもそれ以下でもないのだ。 さて、これにてメイショウサムソンは二冠馬になったわけだが、当然次は三冠馬への期待が高まる。夏を無事に越せばその可能性も充分にあるだろう。頑張ってほしい…が、手放しで喜べない僕がいる。「せっかく外国の競馬を見に来ているのに、日本で三冠馬が出るなんて!!!」 せめてBarbaroが米国三冠を達成していればなぁ、と思うのであった。
(渋谷+新宿)×2+京都。 ~NY散歩その1~
NEW YORK、通称Big Apple。噂に違わぬ大都市だった。
アメリカ滞在48日目。やっとの思いでNYに到着した僕ら。JFK国際空港からデンジャラスな臭いプンプンの(最近はそんなことはないらしいが)地下鉄を乗り継いで、ホステルのあるマンハッタン アッパーウェストに向かった。ホステルに関するスッタモンダは
a walk in the world に詳しい。NYのイメージが天国から地獄落ちるほどショッキングな出来事が起こったのです。
到着2日間は無謀な空港泊の疲れを取る休みに当て、いよいよ3日目。大都会NYを歩いてみることにした。地図とPCをバッグに詰め、朝10時出発。取りあえずの目標をマジソンスクエアガーデンに定めて、いざ直進開始である。
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安西先生、バスケがしたいです…。
今や昔の話だが、僕は自他ともに認めるバスケットマンだった。中学生の頃にバスケに目覚めて、365日ボールを離さない日はないほどに熱中した。高校受験の夏も、一人学校でバスケをやり、当時通っていた塾の先生に、「なんでお前だけ日焼けしてんだ!(みんな部屋にこもって勉強しているのに、という意味だと思う)」と怒鳴られた。しかし僕は聞く耳を持たず、高校に行かないでアメリカにバスケをやりにいく!と周囲に豪語していた。
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Preakness S. Report
野蛮人の受難。 ケンタッキーダービーを6馬身差圧勝したバーバロとはスペイン語で「野蛮人」の意である(英語のbarbarianに相当する)。それを象徴するかのようなイラストが、Dairy Racing Formの表紙を飾っていた。
バーバロは前日オッズで2倍という圧倒的な人気を集めた。ダービー上位人気馬だったブラザーデレク、スウィートノーザンセイントの両頭が出走してきたもの、やはりメンバー落ちは明らかだった。周囲の注目は、バーバロがどのように勝つか。そして三冠の可能性は、ということだけだった。他馬の逆転はあり得ない……。
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Pimlico写真館 vol.2。
導かれし愚か者たち。 無事にBaltimoreに着いたものの、まだ安心はできなかった。今度は駅からPimlico競馬場まで行かねばならない。すでにBaltimoreのローカル電車の「Clod Spring」という駅からPimlico行きのシャトルが出ているという情報は掴んでいたので、路線図を見、運転手に片言の英語で質問して取りあえず電車に乗る。特に問題もなく「Clod Spring」の駅まで着くと、どうやらPimlico競馬場に向かうであろう若者の集団を発見。こっそり後から着いて行き、ちゃっかりシャトルに乗車。
ダービーデーの際も思った事だが、とにかく皆会場に着く前から大騒ぎである。今回はダービー以上に酷く(というのは品がなく)、すでに泥酔気味の若者が一人で踊り、歌を歌っていた。騒いでいるのはその仲間だけで、残りの乗客は苦笑い。僕らは後ろの席から(うるせぇなぁ)と言う無言の視線を投げかけていたのである。こんな事を一丁前に思うようになったということは、俺も老けたんだろうか…??
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Pimlico写真館 vol.1。
Ride the AMTRAK. 例によって、プリークネスS当日は朝6時に目が覚める。僕の中には、Barbaroがどんなレースを魅せてくれるかというワクワクと、果たして無事ピムリコ競馬場に到着できるかというドキドキが入り交じっていた。そうした不安定な情緒が、予想以上に早く僕を眠りから覚ましたのだ。顔を洗い、食パンに不味い紅茶で軽い朝食を済まして、早速出発の準備に取りかかった。
色々と情報をいただいたが、結局はAmtrakでBaltimoreへ行く事にした。メトロでAmtracのステーションがあるUnion Stationまで行く。12:25発のBaltimore行きの乗車券($18)を購入し、しばし休憩。
Amtrakとは大陸横断鉄道のようなもので、例えば今回僕らが乗る電車はWasington.D.CからBaltimoreを経由してNYまで通じている(所要時間は3時間半ほど)。また、別のルートではボストンやシカゴにも行けるようで、陸路で景色を見ながらのんびり米国を旅したいという観光客には人気が高い。
今回僕らは“景色を楽しむ”ほどの時間はなく、わずか30分ほどでBaltimoreに着いてしまう。それは、投球東横線の急行で横浜~渋谷間を行き来するくらいの時間でしかない。
Amtrakは列車ではあるが、そのステーションはさすずめ“チープなAir Port”を思わせる。構内にはレストラン、ブティック、カフェテリア、ファーストフード店が立ち並ぶ。長距離旅行者のための荷物検査があり、ホームへは定刻まで入れない仕組み。メトロに比べれば面倒な手続きは多いが、それでも飛行機で移動するよりも安上がりで手軽に長距離を移動できるため、アメリカ国内でも利用者は多いのだ。
電車なのに遅れることがしばしばあるらしいが、WasingtonのUnion Stationは始点のためか、無事定刻通り12時25分に発車した。
Amtrakの車窓から。木々が生い茂る少しもの寂しい景色を見ながら、心の中では(無事に到着できるのだろうか?)と不安が渦巻いていたのである。
ピムリコ競馬場へ行って来た。
昨夜は部屋に戻ったのが22時半。当然電気は消えていて(共同部屋で他の住人が寝れば電気を消してしまう)、ネットをやることができず。 ものすごい沢山書きたいことがあるのですが、まだ整理できておりません。 アメリカ時間で今日中には何かしらをUPしますので、しばしお待ちを。 最後にひと言。 「Barbaro、生きろ!」
Preakness S.の下馬評。
米国クラシック第2弾、プリークネスステークスを翌日に控えて、改めて出走馬を検証してみる。Barbaro、Brother Derek、Sweetnorthernsaintの3頭はケンタッキーダービーにも出走し、おおむねどんな馬かは分かっている。問題はその他の6頭。ネットで調べた穴ぼこだらけの情報だが、解る範囲でまとめてみた。
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Barbaroの可能性。
20頭という多頭数だったケンタッキーダービーから一転、プリークネスSに集まったのはわずか9頭。ダービー組は優勝馬のバーバロを除くとブラザーデレクとスウィートノーザンセイントの2頭のみ。他17頭はみなバーバロに尻尾を巻いて逃げてしまったようだ。以下、出走馬である。 1 ライクナウ 2 プラティウムカップル 3 ヘミングウェイズキイ 4 グリーリーズレガシー 5 ブラザーデレク 6 バーバロ 7 スウィートノーザンセイント 8 バーナーディニ 9 ダイアボリカル プリークネスSの出馬表を見てはじめて気づいたのだが、スウィートノーザンセイントはGelding(セン馬)であった。ダービーからわずか十日たらずで去勢手術をしたとは考えられないので、もともとセン馬だったということだ。セン馬の記事を書いていながら気がつかなかった迂闊さ。反省すべきである。 さて、僕も含めてなのだが、すでに「バーバロ三冠」を前提に話を進めている。もちろんその可能性は非常に高いわけで、個人的には新しい歴史が生まれる瞬間に立ち会いたいと願っている。だが、いかんせんまだ一冠を取ったばかりである。少々先走りすぎてはしないか? おかしなもので、これがもし日本であれば、僕は間違いなくバーバロに真っ向から立ち向かった馬券を買うだろう。周りがヒーロー視する馬は、どうも嫌いなのである。過去三年の日本ダービーで、ネオユニヴァースもキングカメハメハもディープインパクトも本命にしなかった男である。それが、心底(バーバロの三冠を見たい)と思っているのだから、僕も日和ったものだ。 現状でバーバロ二冠は堅いと思っているが、本格的な予想は新聞を買ってからにしよう。実は、明日(5/19)に下見を含めてピムリコ競馬場に行くことにした。予算は厳しいが、やはり当日一発勝負で知らない土地に行くのは心もとないし、ワシントンの片隅で「何もない何もない」と嘆いているならば、ある所に往け!というわけである。そのレポートはタイミングがあれば明日、無理ならばプリークネスS終了後に時間がある段階でUPすることになると思う。久しぶりの競馬レポート、待っていた人もそうでない人もURLはそのままで。
奇妙な町の片隅で。
Takomaを出て僕らが向かったのは、次なるホステルのある町「Columbia Heights」。Takomaのホステルはそれなりに充実していたのだが、いかんせん部屋のホコリっぽさと虫の多さとドロボウに辟易していて、いち早く出たい、というのが僕らの共通の意見だった。ひと月ちょっと旅した中で、文句なしにワーストワンであった。どこでもいいから違う場所へ…そんな甘ったれた認識が、さらなる地獄を招くとは、この時知る由もなかった。
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やられたっ!
渡米一ヶ月半にして、ついにやられてしまった。
今日は大雨。ちょっと近所をブラブラした後、いつものようにロビーでPC。ランチのパスタをつくり、再びPC。めっきり食後の運動になっている卓球も今日は雨で中止(卓球台がなぜか屋外にあるため)、地下室にあるビリヤード室で代替え。ひとしきりビリヤードを興じた後、夕食にしようか風呂にしようか考えながら部屋に戻る。
するとユウが「あれ…私の緑のTシャツがない…」
続いて俺が「あ、俺のポロシャツもだ…」
さらに捜索を続ける俺たち。
「パジャマ用のハーフパンツとシャツも…」とユウ
「やべぇ、俺のハーフパンツもだ。あ、Tシャツも1枚ない…」焦る2人。
取りあえず事務所に駆け込み、トニーという青年(についてはユウのblog参照)にHelp。身振り手振りで事情を説明し、3人で捜索開始。ベッドの上にあったため、間違えて清掃員が洗濯に出しかもしれないと、倉庫も調査。見つからない。もしかしたらゴミ箱に捨てられているかもと探すもNothing。小一時間探して、再び部屋に戻ってもう一度探してみる。すると見つかるどころか、さらにないものに気づく。
残りは全部俺の持ち物で、ハリウッドで買ったディッキーズのハーフパンツ、大金はたいて手に入れたポロラルフローレンのチェックシャツ、寝癖を直すの面倒な時用に重宝しているボストンレッドソックスのキャップ、そして何故か洗い立てのトランクス2枚…。
考えてみれば、すべて二段ベッドの上の段に置いてあったもので、洗濯したばかりのものが多かった。リュックに入っていた物とベッドの下に放置してあった物は無傷。
2人顔を見合わせても出るのはため息ばかり。何もしていない1日なのにドッと疲れがきた。ホコリまみれ虫まみれの田舎ホステルに一生懸命対応して生きて来た結果がこの有様である。食費を考えて毎日パスタばかりを喰って来た数日間が馬鹿らしくなってきた。
偶然にも二人してPCをはじめとした貴重品を持ち歩いていたため、致命傷は免れたが、それすら気休めにしかならない。確かに、危機管理という意味で軽薄になっていた部分は否めない。ベッドの見えるところに堂々と荷物を置いておくなど、来た当初は考えられなかった愚行である。
「早い段階でこういう目にあってよかったね」と、意味不明な慰め合いをするしかない2人であった。さよなら、僕の愛用品たち…。
犯人に告ぐ。てめぇ、母の日だってのに何やっとんじゃ。母ちゃんが知ったら悲しむぞ。今ならまだビンタ一発で許す。懐にしまったもん奇麗に洗濯して、明日までに返しに来なさい。トランクスくらいならやるからよぅ。返してくださいよ。いつか罰当たるぞ、ヲイ!
Stop the Barbaro, and Road to Pimlico.
Takomaでの穏やかな日々のおかげで、すっかり脳みそは錆び付いてるが、気がつけば1週間後にはプリークネスSである。ケンタッキーダービーが終わるまでは「戦国ダービー」の様相を呈していた米国クラシック戦線も、終わってみればBarbaroの1強であった。Barbaroによほどのアクシデントでもないかぎり、プリークネスも「Barbaro VS 他の馬」の図式は変わらないだろう。
相手筆頭として人気を集めそうなのが、ダービーでも一旦は1番人気に推されたBrother Derekか。ダービーでは枠の不利に加えて、道中落鉄していたという。大舞台で運がないというかなんというか。日本では、「ダービーはもっとも運がいい馬が勝つ」と言われているだけに、日本流に解釈すればBrother Derekは負けるべくして負けたのだろう。ではもしかりに全てがスムーズだったとしても、やはりBarbaroを逆転するのは難しい気がする。
また、何かとお世話になっている
ニホンカワウソ捜索隊 さんによると、出走頭数はわずか6~7頭になるという。戦前から白旗を振ってしまった感じか。ますますBarbaroの二冠濃厚である。三冠に王手をかけかれるか?
問題は山積み。 こちらに来てからはもうお決まりになってしまったが、またもや競馬場までのアクセスに四苦八苦。僕らが今滞在しているのはWasington.D.C.。しかし、プリークネスSが開催されるPimlico Race Trackはお隣Maryland州のBaltimoreである。何故にWasington.D.C.に来たのか、チケットを取った時何を考えていたのかもはや覚えていないが(汗)、結果的にBaltimoreには安いホステルがなく泊まる事ができなかったので良しとするか。バスで1時間もあれば行けるし。どうやら朝出発、レース観戦、大急ぎで帰宅、となりそう。はぁ、ゆっくり競馬をやりたいものだ。ただバスの発着場が結構な危険区域らしく、歩くのはライオンの檻に入るウサギのようなものだそう。多分今までで最もデンジャラスな経験をすることになりそう。気を引き締めねば。
プリークネスSへの交通手段
Greyhound にてWasington.D.C.から出発。1時間かけてお隣Maryland州のBaltimore Down Town駅へ。そこからなんとかPimlico Race Track行きのスペシャルシャトル(当日はそれがあるらしい)を探して競馬場へ。綱渡りもいいところだ。
貧乏暇だらけ。
TAKOMAに来て4日目。
最初こそのどかで静かな所だなぁと、癒されたものだがさすがにもう無理。暇すぎて死にます。プリークネスS、ベルモントSへと続く米国競馬ロード、さらには欧州、豪州へと発展する今後を見越して少しでも金を使うまいと現在は競馬を封印中なのだが、考えてもみれば本末転倒な話である。競馬をやりに海外に来て、競馬を我慢しているのだから。
世間はプリークネスSの話題で盛り上がっているというのに、僕は嫁との卓球勝負に一喜一憂し、朝昼晩と料理をし、たまった洗濯をしている日々。何しに来たのだろう。
嗚呼、競馬やりてぇぇぇ(#`Д´)差せ差せ差せ差せ!!!
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セン馬の行進。
---------巨星堕つ。 香港競馬の英雄、Silent Witnessの没落の報を聞いた。デビュー以来世界レコードとなる17連勝を達成し、日本のスプリンータズSでもそのスピードを存分に発揮した近現代最速の短距離走者である。スプリンターズS以後に怪我をし、その回復が思う様にはかどらないらしい。今まで負けなしだったスプリント戦の連敗を含めて復帰後は4連敗。その絶対政権に陰りが見えて来たと言わざるを得ないだろう。
昨年、GWを利用してぶらりと香港競馬に行った。沙田競馬場で迎えてくれたのは、香港名「精英大師」と書かれたサイレントウィットネスの巨大壁画であった。場内のギフトショップにも同馬のグッズが売られ、さらにダウンタウンのブティックにまで関連グッズが並ぶほどの人気ぶり。香港から誕生した英雄の偉大さをはじめて実感したのである。
そのサイレントウィットネスが安田記念に来る、と決定したとき、僕は胸が踊った。香港旅行時は生でその奔りを見る事ができなかったサイレントウィットネスが眼前を奔るのである。1マイルへの適応や左回りの得手不得手など問題はあったが、僕は迷わずサイレントウィットネスに印を打ったのである。(結果は3着だった)
馬産がない香港の馬は、そのほとんどが去勢馬、いわゆるセン馬である。サイレントウィットネスもご多分に漏れず、すでに玉はない。去勢することの競走能力への影響は、まだまだ未知なるものがある。気性難の矯正だと言う人もあれば、奔りのバランスの補正だという話を聞いたこともある。また、未確認ながらレース後の回復力の向上という効果もあるそうだ。
ただ一つ言える事は、セン馬には競走馬の第二の争い「種付」がない(香港にはもともとないが)。言葉悪く言えば、引退してもやることがないわけだ。何十戦と奔る馬が多いのは、タフネスもあるだろうが、そうした利害関係が絡んでいるのではないか。競馬といえどもきれいごとではやっていけないのだ。
堕ちて行くサイレントウィットネスを見て「情けない」とは思わない。そこには、セン馬の宿命に追われ続ける一頭の馬の生き様がある。僕は(奔り続けろウィットネス)、と心の中で叫ばないではいられないのである。
安田記念出走時のサイレントウィットネス。
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ルイスビルの風景。
ロサンゼルスから飛行機を乗り継ぐこと約4時間。アメリカは中南部のルイスビル国際空港に着いた。大都市から一転、ここは競馬とバーボンとケンタッキーフライドチキンの町。空港でも早速、らしさ全開。
各航空会社のゲートには勝負服をあしらった飾りが。面白い趣向だ。
思わず驚いたオブジェ。あまりによくできた造り。笑わせてくれます。
空港からホテルがあるジェファーソンタウンまでの道中。だんだん高い建物が減り、かわりに眩しい緑が飛び込んで来た。THE 田舎道。
ロスでも思った事だが、こちらは陽が長い。ルイスビルはロスよりも長いように感じられ、時間の流れが狂う。ゆっくりな分、穏やかな心持ちでいられるのである。
この明るさで午後9時。時計を見ないと、自分がいま何時を生きているのか分からなくなる。
ルイスビル出発当日。飛行機の時間までたっぷり1日あったので(秘技「空港泊」を敢行。詳しくはヨメのblogをご覧ください)思い切ってルイスビル市内観光をすることに。と言っても金は使いたくないし、特にやりたいこともない。何となくブラブラしてみたわけで。
エアポートから市バスが出ていた。だいたいバスで20分もあれば市内に着く。
かのモハメド・アリがオリンピックの金メダルを投げ捨てたオハイオ川。
そしてありました、Muhammad Ali Blvd。さしずめチャンピオンへの道か?
ひとしきり市内観光を終え、空港へ戻って来た僕ら。それでも10時間以上は待ち時間がある。どうも10kg以上あるバックパックを背負って歩き回ったせいか、背中の筋をやられてしまったよう。うーん、前にも痛くなったし、どうやら癖になっちまったみたいだ。
ということで、空港から見えた夜景。疲れも癒される美しさ。何度も言うがこれでも午後9時過ぎである。
最後は目もくらむような地平線で〆。お粗末さまでした。
後悔先に立たなすぎた。
大変な失敗をやらかしてしまった。
どうやら、ケンタッキーダービーで僕らが居た場所は、$40で入れるほんの一部だったらしいのだ。実は、infielsdと呼ばれる内馬場まで入る事ができ、そこからならばレースの向こう正面が観戦できたとか…。。。俺のバカ、バカ、バカ。。。高い金払ってケンタッキー州くんだりまで来たのに、肝心要の部分でポカをやらかしてしまった。
ダービーに忘れ物をしてしまった感じなので、この借りはいずれ返さねば!と内心メラメラと燃え上がっているのであります。
PS
お気に入りサイトのNEW blog、
ニホンカワウソ捜索隊 さんがアドバイスをくれました。ありがとうございました。
Kentucky Derby Report 3
-------新聞記事より。 ダービ-が終わった。僕にとっては最初の山場を早くも終えてしまった感じで、緊張が解けるとともに疲れがドッと襲って来た。昼前までベッドから起きられなかった。今日起こしてくれたのは、ルームメイキングの扉をノックする音とその声であった。
今日の楽しみは、新聞を読む(見る)ことだった。このホテルは、毎日新聞を扉の前に届けてくれるので待っていたのだが、今日は一向に来ない。業を煮やしてホテルのロビーに買いに行くと、なんと売り切れ。ダービー翌日の新聞が手に入らないのでは、僕のケンタッキーダービーが完結しない。急いで部屋に戻り着替えて、近くのマーケットに走った。
ケンタッキー州ルイビルのローカル新聞"THE Courier-Journal"を手に取り、レジへ。予想通り、1面にはダービーの記事が。
「バーバロ、楽勝。 記録的な観衆の前で、無敵の三歳牡馬が直線をもの凄い勢いで駆け抜けた。」 ワクワクしながら紙面を繰る。ほとんど読めないが、写真を見ているだけで昨日のレースが脳裏でリプレイされる。
こんな時に必要だと感じるのはやはり英語力だ。読めたらどんなに楽しいか。TVでもダービーのことを放映していたが、それも聞き取れず。競馬の場合、専門的な言い回しがあるだろうから、なお複雑だとは思うが、いつかはこちらの新聞をじっくりと読み込んでみたい。
優勝カップを掲げ、嬉しそうな関係者一同。素直に、おめでとうと言いたい。
-------ドラマの可能性を残しつつ。 無敗でダービーを戴冠したことで、バーバロには続きができた。03年のスマーティージョーンズがあと一歩でなし得なかった「無敗の三冠馬」の可能性を残してくれた。二十年以上も三冠馬が登場していない米国だが、日本でも昨年ディープインパクトという史上空前の怪物が無敗で三冠を達成したことだし、バーバロにもその快挙を夢見たいと思う。
遅くなったがバーバロのプロフィールを紹介しよう。父 Dynaformer、母La Ville Rounge、その父Carson City。黒鹿毛の牡馬で、生産はケンタッキー州のRoy Jackson夫妻。オーナーはLael Stable。
騎手のPrado.E S、トレーナーのMichael R.Matzともに嬉しいダービー初制覇であった。
次はピムリコで行われるプリークネスSに向かい、二冠を目指す。
-------あとがき。 右も左もわからないまま、何となくやって来てしまったアメリカ。移動手段もままならず、思うように競馬場通いができなかった当初はどうなることかとビビりまくりでしたが、なんとかケンタッキーダービーまで辿り着けました。チャーチルダウンズ競馬場は予想以上に田舎にあり、ホテルからバスが出てなかったらきっと行けなかったかもしれませんw。幸運が幾度も重なり、僕としては充実した米国競馬第1章だったと思っています。Blogを通してコメントをくれた皆さん、ありがとうございます。
最後に、無計画無鉄砲の僕の尻を叩き、持ち前の執念深さでいろいろ尽力してくれた鬼嫁ユウに最大限の感謝。
Kentucky Derby Report 2
-------May 6,6:10pm. ダービーの枠順は、
1 ジャジル
2 ステッペンウォルファー
3 キードエントリー
4 シニスターミニスター
5 ポイントデターマインド
6 ショウイングアップ
7 ボブアンドジョン
8 バーバロ
9 シャープユーモア
10 エーピーウォーリア
11 スウィートノーザンセイント
12 プライベートバウ
13 ブル-グラスキャット
14 デピュティグリッターズ
15 シーサイドリトリート
16 コーズトゥビリーヴ
17 ロウヤーロン
18 ブラザーデレク
19 ストームトレジャー
20 フラッシーブル
騒がしかった場内が、一瞬静まりかえった。その瞬間、ついに運命のゲートが開いた。まず飛び出したのは内枠を利したキードエントリーだった。続いてシニスターミニスター。ブラザーデレくはやはり外枠が祟り、逃げられずに9番手あたりを追走するハメになった。バ-バロは好スタートを切り4番手につけたが、スウィートノーザンセイントの方はやや出遅れて後方。ジャジルはお決まりの最後方待機、他19頭を見ながらのレースである。
キードエントリーとシニスターと間に1馬身、シニスターとショウイングアップの間に1馬身、ショウイングとバーバロの間が1馬身の間隔を保ったまま、バックストレッチまで進んで行った。
1マイル地点に差し掛かったとき、ついに膠着していたレ-スが動いた。キードエントリーが一杯になり、シニスターをはじめバーバロ、ショウイングが襲いかかり、いつの間にか内枠沿いをキープしていたスウィートノーザンもこれに加わる。ブラザーデレクは外外を回りながらも4番手まで押し上げてきた。慣れないレース展開に若干戸惑っている様に見えた。ジャジルはいまだ17番手。最後の直線にかける構えだ。
最終コーナーに入ると、バーバロが満を持して追い出しにかかった。シニスターも先手の利を生かそうとスパートをかけようとしたが、思ったような手応えが見られない。逃げたキードエントリーはすでに最後方に沈んでいる所を見ると、かなりのハイペースだったのか。シニスターはここで力尽きた。バーバロが 抜群の手応えで最後の直線を駆け抜けて行く。後続との差が一気にひらいた。いつの間にか好位に付けていたブルーグラスキャットがそれを追いかけるが、差は広がる一方だった。
結局、後続に6 1/2馬身の差をつけてバーバロが圧勝した。2着に伏兵ブルーグラスキャットが粘り込み、3着にも人気薄のステッペンウォルファーが突っ込んで来た。
アナウンサーが「Barbaro!Barbaro!」と興奮気味に実況していたが、場内の歓声にかき消された。
ジャジルはマイル地点から一気に順位を押し上げてきて4着。ブラザーデレクと同着という金星を上げた。密かに期待したショウイングアップも好位追走から5着に残る快走を見せた。残念だったのは本命のシニスターミニスターで、最終的にはアラアラになり16着惨敗。6連勝中だったロウヤーロンは12着、1番人気スウィートノーザンセイントは7着、西海岸勢2番手と目されたボブアンドジョンに至っては見せ場すらない17着という有様だった。
バーバロの強さだけが際立ったダービーであった。逃げたキードエントリー、シニスターが後方に沈む中、それを追走してなお衰えないスタミナ。タフなチャーチルダウンズの10ハロンを2分1秒36の好タイムで乗り切るスピード(これは過去10年で2番目のタイム。1番は2000年のフサイチペガサス)。結果だけを見れば1番人気でなかったのが不思議だが、そもそも人気とは客と新聞が作るものであり、馬自身が申告するのではないので、こういう結果も仕方あるまい。ともあれ、バーバロの強さは本物であり、僕は自分が戦前にバーバロに与えていた評価を改めなければならなかったのである。
Kentucky Derby Report 1
-------童心に帰る日。 興奮のためか前日はなかなか寝付けず、最後に時計を確認したのは4:00am。朝はベッドサイドで目覚ましが轟音を立てているのにも動じず、まるで起きなかった。そんな僕の眠りを破ったのは、布団を強引に引きはがし「朝ご飯行く!」と大声で怒鳴っているユウだった。
ドーナツとCoffeeで軽く朝食を済ませ、支度をする。競馬の時は軽装に限る。Racing Formとペン、カメラの最低限の装備だ。10:00am、着替えやら化粧やらに珍しく?時間をかけているユウを尻目に、「取りあえず玄関に行ってバスの様子を見て来る」と足早に部屋を後にした。
待つこと25分。隣のホテルの前に1台のBusが停車している。(まさかあれじゃないだろう)と思ったが、どうも競馬に行く風の紳士や貴婦人、観光客らが乗り込んでいく。僕が(あれは違う)と思った理由↓
そこに停まっていたのは、真黄色な車体がどこか滑稽で懐かしい1台のSchool Busだったのだ。取りあえず乗り場に向かい、「Go to Derby?」と尋ねるとドライバーが「Yeah!」と頷いた。焦ってユウを呼び、$10を払ってBusに乗り込んだ。最後の客が乗った所で、Busは発進した。
車内では、すぐに歌がはじまった。乗客の1人が音頭を取り、Sweet VirginiやOB-LA-DI, OB-LA-DAをみんなで大合唱。まるで遠足だ。「Sinister Minister,Yes!」「Bluegrass Cat,baby!」「Barbaro is good!!」など、自分が応援する馬の名前を叫び合っている連中もいる。僕とユウは心地よい五月の風を受けつつ、窓を流れる景色をぼんやりと眺めていた。あっと言う間に、Churchill Downsに着いた。
道中思ったのは、School Busで迎えに来たと言うのは、アメリカ風のユーモラスなサービスなのではないか、ということである。乗客はみんなではしゃぎ、歌を合唱し、知らない者同士も笑顔で語り合っている。本当に子供のようだった。アメリカにとってKenturcky Derbyとは「童心に帰る日」なのだ。だからお出迎えもSchool Busで、一層雰囲気を出そうということなのだろう。
そんなことを考えているとちょっと温かい気持ちになり、自然に笑みがこぼれたのだった。
-------6:00pmのMy Old Kentucky Home。 9レースが終わると、いよいよ場内に人が密集しはじめた。10レースまではたっぷり1時間以上の間があった。せめてパドックで馬やジョッキーの写真を撮ろうとする客たちが、みんなカメラを高く上げてシャッターを切りまくっていた。数枚の写真を撮ったところで僕らは少し後ろに下がり、少しだけ人気の少ない場所で休憩。立ち通しで痺れた足や腰にしばしの休息を与えた。
6:00pm。レースまであと10分になると、センターの巨大スクリーンがトラックの観客席を映し出した。かすかに耳を澄ますと、歌が聞こえてきた。少しの振動も感じた。いよいよ「My Old Kentucky Home」の大合唱だった。Mint Julepと並んでKentucky Derbyの名物の一つで、僕はこの大合唱も楽しみにしていたのだ。しかしそれはトラック側だけのことで、パドックでは相変わらずシャッター音や酔いどれの会話がうるさかった。
場内にゴミが散乱していたことについてはすでに触れたが、今回のKentucky Derbyではこの一代イベントの「陽と陰」を見せられた気がする。レースそっちのけで騒いでいる集団。飲んでは捨て、吸っては捨てを繰り返す若者たち。人目をはばからずイチャイチャしているカップル。ある意味、無法地帯ですらあった。以前にも書いたが、ただ「騒ぐ口実」が欲しかった人たちもいっぱいいたのも事実。それでも「Derby」という看板だけで、全米中から人を集めるのだから、やはりその価値は相当に大きい。こうなると、やはりトラックに行かなかったのが悔やまれる。高額のチケットを手に入れてまでDerbyを見たい、という客たちはどんな様子だったのか? My Old Kentucky Homeを歌いながら、厳粛な気持ちになったのであろうか。扉1枚向こうのChurchill Downsはどんな世界なのだろうか…。
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Churchill Downs写真館 其の弐
■パドックパビリオンにて。 僕がダービーを観戦?したスクリーン。角度が悪くてよく見えねぇし(怒)
出走馬の関係者たち。記念撮影をしたり、雑談したり、柵一枚向こうは優雅な世界だった。
無意味な1枚。上空を飛んでいたので取りあえず押さえた。やはりこのチキンは外せない?
景気付けに買った8レースが的中!$10バックで急遽ダービーに増額決定(笑)
ちなみにEXACTA(馬単)8→7で決着した。
ダービー出走馬のおでまし。芦毛の馬体は2番Steppenwolfer號。
馬体ハリがよく見えたがまさか…。
青いシャドーロールの馬が、我が本命Sinister Minister。
隣で裏町紳士が「Beautiful~」と褒めまくっていた。
因縁の?Santa Anita Derby馬 Brother Derek。18番枠を克服できるか?
おなじみ、K.デザーモとSweetnorthernsaint號。1番人気だったダービーの結果は…?
競馬場にいながら、生の馬の写真がほとんど撮れず(汗)これでも人ごみをかき分けて頑張った方であります。レース展開、結果はもうご存知の方もいるかもしれませんが、それはそれで改めて報告いたします。はぁ、見たかったなぁ、レースをライブで。。。
■戦利品。 最後に、チャーチルダウンズ競馬場で手に入れた戦利品を紹介いたします。
ダービーのOFFICIAL PROGRAM。$5。ほとんど読めないがやっぱ記念だし。。。
お宝発見!SECREATARIATのキーホルダー。これは重宝します。
この日、もう一つの目的だったのが、このKentucky Julep。EARLY TIMESに水と氷を入れ、ミントの葉を挿して作る強烈な「夏の酒」。ツンと鼻をつく臭いがいい。寺山のケンタッキーダービー報告にもこの酒の話が出てきた。売り子が「MINT JULEP~~♪」と叫びながら場内を歩き回っていた。とにかく売れていて、話ではダービーウィークだけで10万杯ほど売れるとか。$9と割高だが、酒が入っているコップがそのままお土産になる。滞在中の部屋にあった歴代ダービー馬が印刷されたあのコップだ。ちょっとラッキー。
クイッと一杯。猛暑だった当日、火照った体に一陣の清風が流れ込んだ。
Churchill Downs写真館 其の壱
と銘打ってみたものの、僕が行けたのは競馬場内のほんのわずかな区域だけ。ダービーデーは、通常$5の入場料が$40に跳ね上がる上に、入場料だけではINFILD(レーストラックの方)には入れず。だからケンタッキーダービーもパドックパビリオン内の大型スクリーンで観戦しただけなのです。
(赤枠内が僕らの移動可能範囲)
トラックの方へ行くには、さらに金がかかるわけで、これが貧乏旅行の限界点。次は、絶対にVIPで行ってやる!と心に誓ったのであります。
今回は、Churchill Downs写真館(廉価版)ということでお届けします。
■いざ場内へ。 チャーチルダウンズ競馬場の表玄関。朝11時でもの凄い人の列が…。
入場の際には厳重なチェックが。
持参したペットボトルの水が没収された。毒物だとでも言うのかい?w
どこもかしこも人、ヒト、ひと。まるでどこかの遊園地だ。
ここが馬券売り場。口頭で買い目を申告して馬券を買っている。
英語に難のある僕は、もっぱらSelfサービスの券売機を利用している。
この日は大繁盛していた場内のBar。酒、バーガー、チップス、ドッグ…
体に悪いものばかりだ(笑)
と言いつつ、腹が減ったのでHOTDOGを購入。
ケチャップ、マスタード、ピクルスが乗せ放題で$4。
歴代ダービー馬のプレートが並ぶ。SEATTLR SLEW、AFFIRMEDの三冠馬を激写。
三冠馬は年数がGOLDに輝く。
別の所には米国競馬史上最強の1頭、SECREATARIATの名前も。うーん、GREAT!
最後はこちら。日本競馬史を塗り替えたあの名馬の名前もちゃんと発見。
まさに"MY OLD KENTUCKY HOME"だ。
色んなかぶり物をした人がいました。オシャレ云々よりも、目立つが勝ち!といった具合。
みな、お祭り騒ぎでマナーもへったくれもない。
せっかくのダービー気分も台無しだ。ゴミは屑カゴですよ、みなさん。
聖地チャーチルダウンズへ。
行ってきました、チャーチルダウンズ競馬場。
朝も早よからバスに揺られて20分余。しだいに田舎然としてくる景色を眺めながら、これから訪れる最高の競馬時間に胸を踊らせました。
競馬場のことやケンタッキーダービーのことなど、書きたいことは山ほどありますが、今日はかなり疲れたので(朝10時から約8時間、灼熱の陽の元にさらされて立ちっぱなし)、明日にでも報告します。
チャーチルダウンズ競馬場に座り込んで予想する筆者。
ケンタッキーダービーのレープロ&ダービー馬券(不的中w)
ケンタッキーダービーという名の媚薬。
Run fot the Roses. その国の、生の競馬の姿---を求める僕の旅。メディアでさんざ取り上げられるBigレースではなく、実際に現地にいなければ感じ得ない何千、何万という新馬戦や未勝利戦(に相当する)レースの息吹を感じ、伝えたい。そういうつもりで来たし、むろん今もいる。
しかし、数十時間後に控えた「The Greatest Two Minutes Of Sports (最も素晴らしい2分間)」に興奮を隠しきれない自分がいる。最初から予定に組み込んでいたとは言え、はじめて訪れたSanta Anita競馬場でダービーの重要プレップ、Santa Anita Derbyを見られたこと。またその勝ち馬Brother Derekがダービー前売りで1番人気であることには、何か運命めいたモノを感じる。まるで僕のひと月の米国滞在が、そのままRun for the Roses=薔薇への道となっていたかのように。米国に生まれた何万という競走馬と同様に、僕にとってもルイスビルのチャーチルダウンズが取りあえずの終着点となるわけだ。
いま僕は、ルイスビルの東、ジェファーソンタウンのとあるモーテルの一室にいる。緑に囲まれた閑静な住宅街といった感じだが、こんなモーテルすらもダービー仕様に飾られている。部屋には全131回のダービー優勝馬が印刷されたグラス。プレゼント用に置かれた、昨年の優勝馬Giacomのポスター。部屋に投げ込まれた新聞は、待望のDaily Racing Form。テレビでは、1日中競馬中継が流れている。ケンタッキーダービーを迎えるにあたって、これほどうってつけの場所はないように思われる。だからこそ、深夜2時半すぎになっても僕は眠れずに、こうしてペンを走らせているのだ。
If you going to die,in front! 運良く部屋に投げ込まれたDaily Racing Formのダービーページに目を通す。出走馬全20頭の細かなデータを見るのは、実ははじめて。改めてデータを見てみると、戦前から言われている通りに「逃げ」あるいは「先行」したい馬が多い。1番人気Brother Derekをはじめ、Blue Grass Sを圧勝したSinister Minister、Wood Memorialを制したBob and John、5戦無敗のBarbaro、連勝を重ねてきたLawyer Ron、Sharp Humer、Sweetnorthernsaintまでもが「行ければ行く」可能性を持っている。
日本では、ハイペースと下馬評になるレースに限って超スローになることがある。みんなが妙な色気を持ち、「自分からは動きたくない」という見えない足枷が生まれる。そんな場合、もっとも漁父の利を得るのは、一番先頭にいる馬だ。スローだろうがハイだろうが、自分のペースで逃げられるからだ。人気がなければなおさら。今回は果たして誰がハナを叩くのか。有力馬が固まっているため、あるいは全馬ともにがんじがらめになってしまうのか。枠順からいって、Brother DerekよりもBlue Grass Sで能力が一気に開花したSinister Ministerの方に利があるのではないか? いまだBrother Derekと戦っていないというのも面白い。
Brother Derekはすんなり逃げられるだろうか。逃げて強い1番人気の馬を、他のジョッキーがみすみす逃げさせるのか。仮に逃げられたとして、一頭でも玉砕覚悟の鉄砲玉がいたら、病的なまでのハイラップとともに沈む…そんな可能性がある。それこそが逃げ馬の定めであり、また美しいところでもあるのだ。
誰がペースを握る(作ると言ってもいい)のか。それはダービーの勝ち馬同様に興味深い問題である。
「If you going to die,in front! もしお前が死なねばならないのならば、先頭で死ね」
ドラマに出会う幸運。 僕がケンタッキーダービーに興味を持つきっかけは、変な話だが、寺山修司の「ケンタッキーダービー報告」というルポ(エッセイ?)を読んでからである。寺山の競馬文学については、いまさら僕が語るまでもないが、そのダービー報告は、数ある寺山のエッセイの中でも、僕の中では1、2を争うほどドラマチックな作りになっている。その原因は、寺山が見た1968年のケンタッキーダービーが、130年を超えるダービー史の中にあって、類を見ないほどに劇的な結末を迎えたからに他ならない。
1968年のダービーは、Foward Passという馬が下馬評で人気を集めていた。寺山は、一人部屋でレーシングフォームを眺めている。すると、父Native Dancer、母Noor's Imageの芦毛馬を見つける。その馬はDancer's Imageといった。父のNative Dancerが好きだったこと、また名前に惹かれて、ダービーはDancer's Image一本槍で行くことに決める。
そしてダービー当日。Dancer's Imageは素晴らしい追い込みを見せて、宿敵Foward Pass以下を屠る。父が果たせなかったダービー制覇を息子が成し遂げる…というストーリーである。これだけでも充分ドラマ性を含んでいるのだが、寺山の持つ引力は、さらなるドラマを引き寄せた。なんと、そのDancer's Imageから禁止薬物が検出され失格になってしまったのである。この事件に関して、再び寺山流のジャーナリズムが発揮されるわけだが、とにかく読ませる。脚色された部分もあるだろうが、寺山が見て、描いたダービーがこれほどにドラマを内包したという事実は変わらない。こうしたドラマに出会う幸運もまた、寺山の持っている不思議な魅力であり、その競馬文学の醍醐味に他ならないのではないだろうか。
そして2006年。舞台はチャーチルダウンズ。20頭の役者は出そろい、今頃自分の配役について考えているころだろう。あとはレースの出走を待つばかりだ。僕の幸運は、果たしてドラマを惹き寄せる力を持っているのか。答えはもうすぐ出る。
Lily of the turbulence.
オークスと言えば、日本では樫の女王などというが、ケンタッキーオークスの優勝馬には、百合のレイがかけられる。ダービーの薔薇に対抗してかどうかはわからないが、牝馬に百合とは美しい。
今日、5月5日。僕は念願だったルイスビル入りを果たした。ルイビル国際空港に着くと、それぞれの発着ゲートには勝負服をあしらった看板が下がっている。空港内のショップには132thケンタッキーグッズが並び、インフォメーションセンターにはダービーツアーの案内が並ぶ。つくづく、ルイスビルにとって競馬、とくにダービーはなくてはならないものだと実感した。
インフォメーションセンターの気のいい爺さんの手引きで、無事にタクシーでホテルまで到着。以外に安くてちょっと安心(ただドライバーにチップを上げすぎたのか、支払いが終わった後の態度が急変。扉を開けてくれ、トランクの荷物も出してくれた。さらには、また利用してほしいということか、電場番号まで渡されたw本当に分かりやすい)。
ホテルのロビーで、嬉しい発見。なんと、明日、チャーチルダウンズ競馬場行きの特別バズがあるというのだ。通常の3倍の値段で泊まっているのだから当然のサービスか(でも片道$10)。その案内に、もうひとつ。ケンタッキーオークスの案内も出ていた。しまった!!今日(5月5日)はケンタッキーオークスだ。相変わらず下調べがなっていないと後悔する。
長時間待った後(LAXにて12時間)の乗り継ぎ2回でヘトヘトになっていた僕は、ホテルの部屋についてベットに倒れ込んだ。なにげなくテレビをつけると、ラッキーなことにケンタッキーオークスの競馬中継をやっていたのである。神は見捨てていなかった。。。
ということで、テレビを写真で撮ったので質は悪いですが、ケンタッキーオークスの報告を。
ケンタッキーは、チャーチルダウンズ競馬場のダート9ハロンで行われる3歳牝馬の大舞台。通常、ダービー前日に行われる。すでに述べた通りに、優勝馬には百合のレイがかけられる。
今年、百合の舞台に挙ったのは14頭。
一番人気は、ラスヴァージネスS、サンタアニタオークスとG1を連勝してきたBalance。2倍という圧倒的な支持を集めた。以下、Wait a While、Bushfire、Wonder Lady Anne Lと続く。
一番人気のBalance。仕上がりは上々だ。
各馬体勢が整って、スタート。
1枠を利して、Miss Normanが逃げる。番手は一団で進む。
4コーナー手前で、Miss Normanは一杯に。後続が一気に押し寄せて来た。Balanceは内で包まれたのか、思うように伸びてこない。いまだどれが抜け出すかわからないまま、直線へ。
競り合う内の馬を尻目に、大外から一頭矢のような勢いで突っ込んで来た。なんと、伏兵も伏兵、14番のLemons Foreverだった。各馬を一瞬で抜き去り、一着でゴール!!
思わぬ伏兵の優勝に、アナウンサーも興奮気味だった。
第132回のオークスは大波乱のうちに幕を閉じたのである。人気馬は総崩れ。まさに不安定な3歳牝馬らしいレース展開。これが競馬である。
検量に戻って来たLemons Forever。騎手のGuidryも彼女の激闘を讃えた。
関係者揃っての記念撮影。みな嬉しさを爆発させていた。
ほとんど知識のないままに書いたので、全然スカスカです。でもリアルタイムで見られた事。レースが終わって約3時間後にこうしてレポートを上げられるのも、やはりこっちに来たからだろうなぁと、改めて実感しています。いよいよ明日はケンタッキ-ダービー。見るのが楽しみ。居るのが楽しみ。買うのが楽しみ。そして、書くのが楽しみなのであります。
最後に、超がつくほどに大波乱だったケンタッキーオークスの配当を。僕も見て鼻血が出そうでした。
翌日の新聞スポーツ欄。「レモンからレモネードへ」と締めくくった。
パニックinアメリカ
アメリカに来て以来、はじめて重大な事件が勃発した。それは、10時間以上も時間を持て余していたLAX(ロサンゼル国際空港)のロビーで起こった。
空港内には、極めて微量な無線電波が飛び交っていた。ユウは、その電波が拾える場所を求めて、空港内スターバックス近くのロビーでパソコンを広げていた。一方の僕は、Macという非常にマイノリティーのパソコンなため、空港内の無線電波が全然拾えず、早々にパソコンをしまい、ボーッとしていた。あまりに暇だったため、ユウに「ちょっと茶でも飲みに行くべ」と促す。ユウは渋々納得し、いざ席を立った。その刹那、「ゴンッ」と鈍い音が…。なんと僕のバックからパソコンが転げ落ちてしまったのである。顔面蒼白になった僕は、恥ずかしさもあって、取りあえずパソコンを拾い上げてバックに放り込んだ。内心、パソコンが壊れていないかビビりまくりなのは言うまでもない。
適当なファーストフードに入り、恐る恐るパソコンを開いてみる。外観を確認すると(#`Д´)ガッデム!
CD/DVDの挿入口に歪みが…。買ったばかりなのに。かなりショックショック!!
次いで、電源をON。これは通常通りに立ち上がり一安心。しかし、しかし!!!大問題発生!
僕のパソコンには、無線の電波でインターネットができる「AirMac」という機能が搭載されているのだが、そのAirMacが「見つからない」とアラートが出てしまったのだ。WHY?? 「AirMacカードがインストールされていません」と文面は続く。なんのことじゃ?困り果てる俺。半分泣きそう。何をやってもAirMacは起動せず、イライラばかりがつのる。そんな俺を見てユウがまたいらつく。気まずい雰囲気がしばし流れる。
その場はやむなく諦めて、どこかでAppleストア(Macの専門店)で直してもらおうということでおさめた。はぁ。しかし、バックからパソコンを落とすなどという凡ミスをやらかすとは…。
約12時間後。僕らはやっとの思いでケンタッキー州ルイスビルに到着した。ルイスビルの感想はまた後ほどに回すとして、取りあえず荷物を開封する。すると!!! サンタモニカのお店でふざけ半分に買ったグラサンの柄ががポッキリ。。
ほとんど使っていないのにぶっ壊れやがりました。ついてないなぁ。パソコンに続きグラサンまで。。もう嫌や。大事なダービーを控えているのに、どうも気が乗らない。
そうこうしているうちに、ユウがパソコンをはじめた。僕のMacをなんとか直す術はないかと調べてくれたのである。
最初に見つけた方法は、ネジを外してカバーを外し、その中に挿入されている「AirMacカード」なる代物を装着し直すという手段だった。…ネジを外す。ドライバーねぇし!持ち物を引っ掻き回し、ドライバー代わりになりそうな物を探す。ユウの眉毛切りがちょうどいい細さだったので、その刃先を折りマイナスドライバーのようにした。
これを使って、セコセコとネジを外していく。
全部外し終わって、ネットの指示通りにカバーを外そうとするが、どうやっても外れない。見る限り、溶接されているっぽいし。。。WHY?? さすがにもう諦めようとした瞬間。
「これじゃない?」
とユウ。別のページを見つけて呟いた。僕は、「どうせ駄目だろう」と諦めていたが、せっかくなので挑戦。するとどうしたことか。そのページに出ていた『駄目な例」と僕のパソコン内部が一致したのである。ということは、そこを正せば直るのか?期待半分でいじくってみる。
BINGO!!!直りました!!!!やたー (´ー`)ノシ ユウのパソコン好きが、思わぬ所で力を発揮してくれました。大喜びする俺とユウ。しばらく、ユウに頭が上がらないなぁ(笑)
空港にて。
いよいよロスを経つ。いまは、LAX(ロサンゼルス国際空港)内の待ち合い室で、この記事を書いている。搭乗まであと7時間ほどあるわけだが、特にいる場所もなく、やることもない。いささか早く空港に来すぎたか(こちらのスタッフも、フライトが今日のMIDNIGHTだと知って驚いたほどだ)。 思えば、失敗ばかりのひと月だった気がする。まず、一番大きなことは金銭感覚の違いだった。当初、「$1=100円」でそれほどぶれはないだろう、とたかをくくっていた。実際は、$1=118円(最高)だったわけで、例えば$80は8,000円ではなく、約9,500円であった。当然、この誤差も積もれば山となり、予定していたひと月の資金枠を大きく超える結末を招いてしまった。 次に、ホテルに対する先入観である。いろいろな話をまとめた結果、夫婦でドミトリー(共同部屋)に泊まるのは厳しいだろうと思っていた。当然、プライベートルームはドミトリーに比べて割高である。ところが、二カ所ほどドミトリーに泊まったのだが、全然問題なしだった。それどころか、最後に宿泊した$10ホステルでは、同室のドイツ人と仲良くなり、みんなでアドレス交換し、なんとドイツの実家にまで招かれるほどに発展した。これこそドミトリーならではの醍醐味である。さすがに、1ヶ月まるまるドミトリーはキツいかもしれないが、滞在にもっとドミトリーを混ぜるのは可能だろう。これからの旅に生かしたい。 最後は、この旅における最重要命題である競馬についてだ。結局、ロス滞在中30日の間に競馬場に行けたのはわずかに6回。競馬場の位置、アクセス方法、資金…しっかり下調べしていなかった結果。車があればもっと違ったのかもしれないが、それは言ってもはじまらない。なるべく競馬場へのアクセスが便利な場所に宿を取り、移動に時間と体力を削られないようにすること。これもこれからの宿選びに生かさねばならない課題だ。 さて、次なる都市はいよいよケンタッキーダービーの地、ケンタッキー州ルイビル。予約したホテルが空港からやや遠く、どうやって行くかを、いま考えているという有様。この1ヶ月がまるで生かされていない。先が思いやられる。さらに、ホテルから競馬場までの行き方もわからないままだ。翌日がすぐにケンタッキーダービーなので、ネットができる間に調べねば。 と、なんともなく、日記を書いて搭乗までの時間を潰すしかない我々であった。
さよならLA
長いようで短かったLAの1ヶ月間もいよいよ終焉。初物尽くしで驚いていた最初の頃が懐かしく、さすがに20日間以上もいると、もうお腹いっぱい(笑)。早く次の町、ルイビルに行きたくてウズウズしています。 まだまだ先は長いです。予定ではあと7ヶ月。でも、このひと月で予想以上に出費したため、縮小することになるかも(笑)ま、なるようになるでしょう。行き当たりばったりで臨機応変に。まだまだ旅は続くのであった。ボチボチ頑張ります。SPECIAL THANKS:Shuya Miyawaki、Kenya&Masayuki、Marcel&Miriam、Simon and, "Thank you" I want to say to all the people met LA!
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